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戦災戦士’sコラム | 明寿会 | 川崎市 介護事業所

戦災戦士’sコラム

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    ~昭和の時代を生き抜いた人々の歴史展~

    日時:平成26年10月25日(土)午前9時~午後5時

             26日(日)午前9時~午後4時

    会場:旧旭勇ストア 川崎区旭町2-24-9(旭町商店街旭ドラッグ隣)

    入場料:無料

    主催:介護体験を聞く会

    協賛:(有)明寿会・柳田診療所

     

    ・老人の体験を忘れない回想展(原爆写真、第二次世界大戦の写真、川崎空襲写真、沖縄戦写真など)

    ・柳田医師による認知症講演会(両日午前10時30分~)(認知症介護の入り口と方向について)

    ・デイケア、デイサービス、グループホームの活動紹介(活動写真、利用者さん制作の作品展示)

    ・介護弁当展示、みそ汁試食、車いす体験、リフト車体験などなど

     

    また、当日はケアマネージャー、介護福祉士が介護のご相談に応じます。

    お気軽にご相談下さい。 

     

     

    写真:原爆行 

    解説:「川崎吟詠会本部 会長岡田東鵬 新編和漢名詩選」第三版より

    *昭和二十年八月六日朝米空軍一機飛来し原爆を広島に投下。

    次いで同月九日長崎に投じた。

    詩はその破壊のすざましさと残虐さをのべ、戒めとしたもの。

    怪しい光がピカッと一すじ、真青な空から落ちてきた。

    たちまち、地は震い、太陽も暗くなり、一瞬の間に、丘は谷となり、谷は丘に変じ、立派な町も家もみな、灰となった。

    この日の死者三十万。

    生き残った者も創をうけ、余りのことに悲しみうめくのであった。

    死と生との別れ道は、定かでなく、誰にもわかるものでない。妻は夫を探し、子は親を尋ねる。地獄でのわめき声のようなその叫びは、天地を動かし、道のほとりに血は流れ、死体が横たわって連なる有様であった。

    国難に殉じ命を落とすのは兵士ばかりではない。

    被害を受けるのは、すべて罪とがのない人ばかりである。

    広島のすざましい被害は、かってないひどさであったが、米軍はさらに、長崎の港町をも襲った。

    かくして二つの都市が荒れ果て、鶏や犬ですらいなくなりあるのは壊れた垣根、落ちた瓦ばかりで、人気はなかった。

    このようなむごたらしさは、天の怒るところであり、おごりを極めた乱暴は、かの狼や虎のような秦の狂暴と同じである。

    あなたはお聞きにならないか。

    すすり泣く霊の泣き声が、夜から朝まで続き、壊れた町跡には、雨降って暗い夜に、青い鬼火が飛ぶということを。

     

    **語意 一綫ー綫は線と同じ。一筋。

    忽然=たちまち。

    陵谷変=陵は丘。丘は谷となり、谷は丘となる。

    台榭=台は立派な御殿。榭は屋根のある物見台。立派な家も粗末な家も。

    茫茫=ぼんやりとしているさま。

    阿鼻叫喚=阿鼻は八大地獄の一つ。無限地獄。その地獄でわめき叫ぶ声。

    陌頭=陌は道。道のほとり。

    黄陳=陳はつらなる、並ぶ。横たわって並ぶ。

    無辜民=辜はつみ。つみとがのない人。

    広陵=広島。

    崎陽津=崎陽は長崎。津は港町。

    残虐=むごいこと。

    驕暴=驕はおごりたかぶる。おごりたかぶった乱暴さ。

    啾啾=すすり泣く声。

    *** この和漢詩「原爆行」は第12回敬老文化祭の会場パネルで掲示します。

     

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    「奔豚病(ほんとんびょう)」

    世界四大文明発祥の地であり、漢方医学発祥の地である中国の医学古典に「奔豚病(ほんとんびょう)」という病気が記載されている。

    これは同じ漢字文化圏である日本ではイメージを膨らますことができる。

    この文字面からして豚が走るように体のなかに異常な感覚を感じる病気と言うことである。

     

    現代的な研究によると、恐怖や強度のストレスにさらされる経験が発症に繋がっていることはわかっている。

    2000年前の中国や日本は衣食住もまだ貧弱で、自然の驚異猛威に曝露され、社会的には原始階層社会で支配層以外の大半の庶民は奴隷状態である。

    極端な格差社会で、多くの人々が納屋にむしろのような、厳しい生活に曝されていたであろう。

    そのなかにあって、社会的立場の弱い、特に幼児や婦女子で「奔豚病」が発症したのではないだろうか。

     

    実際に豚の走るような感覚とはなにを意味するのか?

    奔豚病で死亡することはないので、心臓の期外収縮のようなものか。

    病気の形跡も残らず、他人からも理解できない。

    なった当人しかわからない。

    私のイメージとしては、右手で子豚を抱えることを経験してみると、子豚は猛烈に嫌がり、その人の左胸を頭で突いてくる。

    子豚の心臓部頭突きである。

    これが「奔豚病」の感覚に近いのかもしれない。

     

    当人は心臓が止まるのではないかというくらいの恐怖感を味わう。

    中にはその場に倒れて意識を一時的に消失する人もいる。

    昔も今も、恐怖のあまりの失神である。

    極度の不安や恐怖の既往が背景にある病気。

     

    この特効薬が苓桂甘棗湯(りょうけいかんそうとう)である。

    この漢方は小太郎漢方では漢方薬局や「匙クラブ」でエキスを購入できる。

    開業医は保険エキスがないので、苓桂朮甘湯と甘麦大棗湯を合わせてもいいのではないか。

    現代日本も極端な格差社会になっており、目を移すと母子心中、都会で認知症者の独居生活など時代が逆行した恐るべき構造があり、既視現象ではないが、漢方医は忘れてはならないと思う。(柳田)

     

    *診療所の玄関の三角コーナーに山茱萸があり、やっと実が赤みを増しました。

     

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    以前、両親に連れられて来た女の子がいた。

    目的は父親が漢方がほしくて来院したのだが、私が気になったのは付いてきた女の子である。

    まだ小学校に上がる前の4歳前後の女の子で、診療所に3人で入ってくるなりその女の子供だけ玄関から出て行った。

     

    横浜から来たので、川崎は知らない場所だろうし、迷子になってはと心配したが、両親はさほどではない。

    聞いてみると、いつものことで自宅でもそうだという。

     

    じっとしておれないという。

    絶えず出たり入ったりを繰り返すのだと、困った顔をして言う。

    両親以上に本人も困っているのだろう。

    そこでハタッとひらめいたのが「甘麦大棗湯」だった。

    甘草と小麦と大棗(なつめ)で作られた漢方で、数百年前から使われていたものである。

    ひらめいたこの漢方エキスを一袋飲ませてみた。

    神経質そうな子供だったが、甘くて飲み易かったせいか、本人も辛かったのか、すぐに飲んでくれた。

     

    すると30分もしないうちに気持ちが落ち着いて、待合室で座っておれるようになった。

    表情も落ち着き、両親も驚いていた。

    もちろん私もその即効的効果に驚かされた。

    以来、誰でも、急迫症状のある患者さんには躊躇なく出している。

    それはシャープな効果が得られます。

    現代人に安心して使える漢方のトランキライザーである。

     

     

    ※下記記事は全て引用となります。

    【引用元】

    有限会社オフィス・トウェンティーワン(OFFICE21.Co.Ltd)

    新・東洋医学辞書V13 より引用

     

    甘草

    カンゾウ【甘草】局

    [基原]マメ科植物(Leguminosae)ウラルカンゾウGlycyrrhiza uralensis Fischer、ナンキンカンゾウGlycyrrhiza glabra Linneの根およびストロン(走出茎)で、ときには周皮を除いたもの(皮去り甘草)の乾燥品。

    日本薬局方正品は以上の二種を基原とし、Glycyrrhizinを2.5 %以上含む。

    主成分のGlycyrrhizinを含む同属植物にG. inflata Batalin、G. korshinskyi G. Grig.などがある。

    甘草は産地の名を冠してロシア甘草、東北甘草、西北甘草、新彊甘草と称することが多い。

    ロシア甘草はG. glabra基原、東北甘草はウラルカンゾウG.uralensisを基原であり、漢方処方で用いられるのは後者である。

    西北甘草はウラルカンゾウG.uralensisを主としナンキンカンゾウG.glabraのものがあるとされるが東北甘草とはかなり成分相が異なる。

    新彊甘草はG. inflataを主であるが、ナンキンカンゾウG.glabla、G. korshinskyiのものも散見されるという。

    近年、野生品の産出が減少し、各産地における基原種の構成も大きく変化しつつある。

    [出典]神農本草経 上品

    [別名]国老(こくろう)《名医別録》

    [成分]芯部にはGlycyrrhizinほか各種配糖体を含み、これらは各種に共通に含まれる。

    皮部には非配糖体性ノイソフラボノイド、フラボノイドが含まれ、各種ごとに特色ある成分を含む。

    共通成分:Glycyrrhizin(甘味成分), Liquiritin, isoliquiritin, Liquiritigenin, Isoliquiritigenin(以上フラボノイド), Formononetin(イソフラボノイド)など、ロシア甘草(G. glabra):Glabridin, Glabrene, Glabrone, Glabro(以上イソフラボノイド)lなど、新疆甘草(G. inflata):Lichochalcone A-D(以上フラボノイド)など、西北甘草:Glycyrin, Glycycoumarin(以上イソフラボノイド), Kumatakenin(フラボノイド)など、東北甘草(G. uralensis):Licoricidin, Glycyrol, Licoricone(以上イソフラボノイド)など。

    [効能]鎮痙、鎮咳、抗炎症、潰瘍修復、抗アレルギー作用

    [用法]矯味、緩和、去痰薬、リウマチ、関節炎など

    [性味]甘、平

    [処方]安中散、胃苓湯、温経湯、越婢加朮湯、黄耆建中湯、黄連湯、乙字湯、葛根湯、葛根湯加川?辛夷、加味帰脾湯、加味逍遙散、甘麦大棗湯、桔梗湯、帰脾湯、?帰膠艾湯、荊芥連翹湯、桂枝加芍薬湯、桂枝加芍薬大黄湯、桂枝加朮附湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、桂枝湯、桂枝人参湯、啓脾湯、香蘇散、五虎湯、五積散、五淋散、柴陥湯、柴胡加竜骨牡蛎湯、柴胡桂枝湯、柴胡桂枝乾姜湯、柴胡清肝湯、柴朴湯、柴苓湯、酸棗仁湯、滋陰降火湯、滋陰至宝湯、四逆散、四君子湯、芍薬甘草湯、十全大補湯、十味敗毒湯、潤腸湯、小建中湯、小柴胡湯、小柴胡湯加桔梗石膏、小青竜湯、升麻葛根湯、消風散、参蘇飲、神秘湯、清上防風湯、清暑益気湯、清心蓮子飲、清肺湯、川?茶調散、疎経活血湯、大黄甘草湯、大防風湯、竹茹温胆湯、治頭瘡一方、治打撲一方、調胃承気湯、釣藤散、通導散、桃核承気湯、当帰飲子、当帰建中湯、当帰四逆加呉茱萸生姜湯、当帰湯、二陳湯、二朮湯、女神散、人参湯、人参養栄湯、排膿散及湯、麦門冬湯、半夏瀉心湯、白虎加人参湯、平胃散、防已黄耆湯、防風通聖散、補中益気湯、麻黄湯、麻杏甘石湯、麻杏?甘湯、?苡仁湯、抑肝散、抑肝散加陳皮半夏、六君子湯、立効散、竜胆瀉肝湯、苓甘姜味辛夏仁湯、苓姜朮甘湯、苓桂朮甘湯

    [産地]中国、ロシア、アフガニスタンなど

    [補]過量服用で偽アルドステロン症、低カリウム血症などグリチルリチンに基づく副作用が顕在化する。

     

    小麦

    ショウバク【小麦】

    [基原]コムギTriticum aestivum L.(イネ科Gramineae)の種子

    [出典]神農本草経集注

    [成分]糖、でんぷん、蛋白質、脂肪

    [効能]止渇、止汗

    [用法]精神安定薬、盗汗、ヒステリー

    [性味]甘・淡、涼

    [処方]甘麦大棗湯など

    [産地]日本各地

     

    大棗

    タイソウ【大棗】局

    [基原]クロウメモドキ科(Rhamnaceae)ナツメZizyphus jujuba Miller var. inermis Rehder (日本薬局方正品)又はその近縁植物の成熟果実を乾燥したもの。果実を夜露にあて日にさらし干したものが紅棗、これを蒸してさらに干し、皺が生じ黒味を帯びたものを黒棗という。

    黒棗の表面には時として糖分が出ることがある。市場品には紅棗が多い。

    [出典]神農本草経 上品

    [別名]棗(そう)、紅棗(こうそう)(医学入門)、黒棗(こくそう)、乾棗(かんそう)、美棗(びそう)、良棗(りょうそう)《名医別録》

    [成分]ダンマラン系サポニン:Zizyphus saponin I~III, Jujuboside B、テルペノイド配糖体:Zizyboside I, II, Roseoside、フェノール配糖体:Zizybeoside I, II、フラボノイド-C-配糖体:6,8-Di-C-glucosyl-(2S)-naringenin, 6,8-Di-C-glucosyl-(2R)-naringenin、糖類:Fructose, Glucose、多糖類:Zizyphus arabinanなど、有機酸:Malic acid, Tartaric acidなど、その他:, cyclic AMP, cyclic GMPなど。

    [効能]緩和、強壮、利尿、鎮痛、鎮痙、鎮静

    [用法]咳、身体攣痛、腹痛、煩躁、心悸亢進

    [性味]甘、平・温

    [処方]甘麦大棗湯、桂枝湯、茯桂甘棗湯、胃苓湯、越婢加朮湯、黄耆建中湯、黄連湯、葛根湯、葛根湯加川?辛夷、帰脾湯、加味帰脾湯、桂枝加芍薬湯、桂枝加芍薬大黄湯、桂枝加朮附湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、呉茱萸湯、五積散、柴陥湯、柴胡加竜骨牡蛎湯、柴胡桂枝湯、柴朴湯、柴苓湯、四君子湯、炙甘草湯、小建中湯、小柴胡湯、小柴胡湯加桔梗石膏、参蘇飲、清肺湯、大柴胡湯、大防風湯、当帰建中湯、当帰四逆加呉茱萸生姜湯、排膿散及湯、麦門冬湯、半夏瀉心湯、平胃散、防已黄耆湯、補中益気湯、六君子湯

    [産地]中国、韓国、日本各地

    →紅棗(こうそう)

     

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    世界中に日本式の「おもてなし」が「日本人の文化」だとして広がった。

    私たちのパーソンセンタード・ケアの「おもてなし」は無駄なおしゃべりをしない一味違ったものである。

    わたしたちがお世話する方々は東京空襲、2ヶ所の原爆投下、沖縄での地上戦などで逃げ惑い生き延び、戦後は戦勝国による食糧封鎖、医療封鎖などで飢餓や疾病蔓延などの生命の危機を乗り越えてきた。

     

    しかもその過酷な環境のもとで子どもを育てて教育をつけ、社会の復興を成し遂げてきた方々である。

    したがって、わたしたちが運営するグループホームをはじめ通所施設は地域の知恵の宝庫館なのです。

    人間生きて民族復興のため、荒廃のどん底から這い上がるためには感覚を研ぎ澄ませ、あらゆる創造力を結集させて生活能力を向上させなければならない。

    そうした80年、90年の環境にいると、そろそろ苦労を忘れたいと思うときもあるでしょう。

    そうして直近の記憶を忘れていった方々のお世話を毎日しています。

    わたしたちがお世話する、介護職の親や祖母、祖父にあたる高齢者は何も言わなくても若いヘルパーが意図することはピンと来るのです。

    あまりクドクド言われるほうがストレスになり、イライラさせてしまう。

    わたしたちの「おもてなし」は、NHKやメディアの求める立場の方々の生理的コンフォータブル要求対応ではなく、人間の尊厳、尊敬のおもてなしです。

    風呂に入らないおばあちゃんには、服を脱いで、石けんつけて、頭はシャンプーでと、あれこれ言わない方がいいのです。

    もしわからないことができたら、〝あなたこれはどうするの?〟と聞いてくれる「なじみ」関係づくり、信頼関係づくりこそが必要なのです。

    この「なじみ」関係が年配者と若者の両者の間に成立している事こそが、あなたは立派な認知症者対応専門介護者ですよという、おばあちゃんのくれた勲章なのです。

     

     

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    私たち昭和19年生まれの人間は、現代の高齢者と若者たちの中間にあたり、ちょうど橋渡し役である。

    私たちが小学校にいくと、欠食児童というのがいた。お昼のお弁当をもってきていない子供たちである。

    同級生で弁当を持って来れない。

    それに対して、先生が自分の弁当を分けてあげていた。

    このようなことは平気でやっていた。

     

    もちろん自分たちの弁当といっても、当時日の丸弁当といって、弁当箱の真ん中に大きな梅干しがどっかとあぐらをかいているものだったし、目刺しや漬け物やイカのつくだ煮などが弁当箱のハシっこについていたものだった。

    私もどうにか小学校時代には日の丸弁当をもってきていたが、中には卵焼きなどを入れてもらっている分限者(ぶげんしゃ)の友達もありうらやましかったのを覚えている。

     

    私の田舎は九州の山奥で、それこそ近くに平家の落人部落がある椎葉村があるようなところで、海岸沿いに猫の額ほどの平野があり、その裏には平野の何十倍もの膨大な森林が待ち構えている所です。

    だから、弁当の時間になって箸を忘れたらどうするか?

    先生にことわって裏山に箸を取りにいったものだ。

     

     

    ゴカイ先生の思い出・・・・

    中学の先生で数学の先生がいた。

    たしか甲斐というような名前の先生で、結核をわずらったとかで少しやせて猫背ぎみだった。

    少し枯れたような声で数学をおしえていた。

    中学校は川の河口にちかくは広大な干潟がひろがり、魚つりやハマグリ掘りにちょうどいい場所で、昭和32年ごろの中学生は元々兵舎を改造した中学校の窓から、勉強よりも窓の外の景色が関心があった。

    それは私たちよりも鳶が海中めがけて自由に魚とりをしている光景をうらやましく眺めていた。

    鳶からみると豊富な魚の群れが眼下に見えたのだ。

    空中高くから羽を縮めて急降下し、川の中の魚に突撃し、その鋭い足の爪でボラなどをつかみ上げて山の巣へ持ち帰っている。

    それをみていると、先生のチョークが飛んできて授業中であることを思い出させていた。

    数学の甲斐先生は魚釣りが好きな先生でした。しかし結核をわずらったせいで、体力は少し落ちていたのだろう。

    その先生が考えた生徒への罰はゴカイ掘りだった。

    校舎の隣の河口の浅瀬にはゴカイが無数の孔を明けて生息していた。

    甲斐先生は、宿題を忘れた生徒に罰として、ゴカイ掘りを言いつけたのだ。

     

    この他、突然授業中に雷を落として居眠りをする中学生を目覚めさせた英語教師の話しもあるし、独特の原爆理論の教師の話もおもしろかった。

    ネズミというあだ名をつけられた先生もいた。

    灰色の背広で口ひげはやした小柄な背格好が中学生からそうよばれていた。

     

    開業して35年になるが、3年ほどまえにデイケア室に瀧口がヘルパーに来た。

    やはり私とおなじ戦争のキズ跡をかかえた男であった。

    私は父が戦時中に結核で死亡している。

    母は再婚して私を育てたが、瀧口は自分の母が小学校時代に大病をして車イス生活になり、長男の彼がおもに日常生活の世話をしていた。

    私と同じ年齢なので小学校時代といっても日本社会全体が戦後の貧しい混乱期である。

    手も使えないので口に鉛筆や筆をくわえて立派な絵をかいている。

    本まで出した母親である。

    まだ小さな小学生時代から母親のお世話をしていたのは、周囲から奇異な目で見られたろうが、大変な親孝行息子だった。

    今、彼とデイケア室で戦災戦士ズのコーナーをつくって毎月一回2時間余りのプログラムをやっている。

    同じ年齢で、同じ時代を幼少時代をすごした同志であり、二人名付けて戦災戦士ズというわけである。

    出し物は共通してハーモニカ少年であり、現在は瀧口がハーモニカで私がギターで歌ったり、平家落人の歴史を講談風に瀧口が語ったりしている。

    昔大学時代に所属した児童演劇部の経験がいきているのであった。

     

     

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