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川崎市の介護事業所「明寿会のなじみグループ」

集団脳~人類発展歴史とその存在の現代的意義

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    私が「集団脳」という言葉を知ったのは、時実俊彦元東大教授の「人間と脳」を読んでからである。

    それまで、わたしたちは戦後占領軍教育を受けて以来、「個」の確立を目指すという教育を受け続けてきた。

    つまり個人主義の確立こそが人間の目標であり、その精神で勉学を志してきた。

    しかし、その結果、振り返ってみると、次第にふるさとや親を忘れていき、記憶からも薄れていき、人間の豊かさを失っていったと思う。

    その回復の努力には大変な労力を要した。

     

    青春多感な時期の多くの青年が、自分とはなにか、アイデンティティーを求め、旅に出て、本を読み、求道し、魂の精神的彷徨の旅にでていった。

     

    人類の発展史の結実としての大脳を振り返ると、人類には集団脳があり、人類が地上で過酷な環境変化の中で生き延びて発展し、万物の霊長となった所以は「集団」であった。

    戦後教育と真反対である。

    今日の世の中の単位である家庭の争い、学校や職場の人間関係という軋轢も、元をただせば集団欲を満足することができれば、次第に解決してゆく問題としてある。

    集団活動や集団生活を通じて集団欲を満足させることができれば、納得させ、解決できる問題としてある。

    青年や子どもが閉じこもりや精神的障害になっていく時、その前に集団脳を考えることである。

    一人部屋に閉じこもり、孤独の不安を安定剤で紛らわすやり方は正しい解決とはならない。

    同じように老人のアルツハイマー病も、定年で社会集団から切り離され、閉じこもりを起こして発症してくる。

    いわゆる廃用性萎縮である。脳を使わないための病気である。現在社会が自ら生み出している社会病、現代病である。

     

    時実利彦の「人間と脳」の中にある集団脳、集団欲の満足の方向を教育や社会で考えてゆくことこそが、今日の時代にこそ日本で必要なことである。(柳田診療所 柳田)

     

     

    *(参考資料)『集団欲の重要さ』~時実利彦著「脳と人間」より~

     

    私たちは、家庭、社会、国家、民族といったように、色々な性格と規模の集団を作って生活しておりますが、利害関係を理屈で作っているのではありません。

    ひとりぼっちは嫌だ、とにかくみんなと一緒になって生活したいという集団本能に駆り立てられているのです。

    愛も憎しみも相手があってのことですし、喧嘩も一人ではできません。

    私たちが、人間関係とか人間疎外を問題にするのも、集団欲によって集団生活を営んでいるからです。

     

    私たちは、いがみ合いながらも一緒に生活しようとしておりますし、ある民族は、殺し合いをしながらも一つにまとまろうとしています。

    これでわかりますように、集団欲は非常に厳しい、そして極めて重要な本能であることが想像されます。

    そしてこの想像は、人間を孤独の環境において集団欲を満たさないようにした場合の、精神的、肉体的変化によって実証されています。

     

    北極に十四日間ひとりでいたリッター女史は、雪の上に怪物が見えたり、スキーで滑る音が聞こえたりするような、錯覚や幻覚や妄想を体験しております。

    長い間、独房に入れられていますと、思考力が弱まり、判断力が狂ってきて、容易く洗脳されるようになることは、よく知られていることです。

    先年、マーメイド号で太平洋をひとり旅した堀江謙一さんが、手記に、「何よりも一番苦しかったのは孤独に耐えることだった」とはっきり書いておられます。

    そして、英語版の題が“KODOKU”でした。

     

    これらの孤独な環境は、物は見えるし、音は聞こえるのですから、本当の孤独ではありません。

    最近になって、外国で人工衛星による宇宙旅行に関連して、厳密な条件のもとでの孤独実験が行われています。

    暗黒で完全に防音された実験室に、体温と同じ温度、人間と同じ比重の液体をたたえ、その中に被験者を裸で入れるのです。

    被験者には、特殊なマスクを着けさせて、正常な呼吸ができるようにしておきます。

    もちろん、自分で手足を動かしたり、声をだしたりすることは禁止されています。

    すると、二,三時間で、幻覚が現れたり、妄想が起こったりしてきて、精神的にパニックの状態になって参ります。

     

    日本でも、名古屋大学の環境医学研究所で、二人の大学生を被験者にした孤独実験が行われました。

    この実験における孤独の環境はそんなに厳しいものではありませんでしたが、それでも、次第に精神的に不安定になり、一人の被験者は、三日目に、気が狂った言動をするようになったのです。

     

    もっと思い切った実験は、動物を使って行われています。

    ダイコクネズミを群れから一匹だけ取り出して、孤独な環境の元で飼育します。

    数週間しますと、大人しかったネズミが神経質になり、粗暴になって、噛みついたりしだします。

    そして、一,二週間も続けると、手に負えないような状態になり、その上、尾の皮膚に炎症ができ、次第に広がってくるのです。

     

    このようになったネズミを殺して調べてみますと、内臓器官にも変化が起こっていたり、内分泌腺が肥大していたり、あるいは萎縮していたりするのです。

    このように、身体的、精神的に異常になったネズミも、元の群れに帰してやりますと、やがて、元気なおとなしい、元のネズミになるのです。

     

    サルを一匹だけ孤独の環境の下に置くと、同じように、精神的、身体的に異常状態になります。

    そして、毛を自分で抜いていって、すっかり丸裸のようになるのです。

     

    食欲を絶てば、身体の栄養が悪くなりますし、性欲を絶てば、イライラして参りますが、そのために気が狂うというようなことは、まず起こらないでしょう。

    ところが、先に述べましたように、集団欲を絶ちますと、ただちに精神的、身体的に酷い異常状態になるのです。

    集団欲がどんなに重要な、そして基本的な本能であるかということがわかります。

     

    私たちは、集団欲が適えられているときには、親しさや心の連帯や、また、同体感や一体感を覚えます。

    反対に集団欲が適えられていないときに、淋しさを覚え、孤独をかこつのです。

     

    (「脳と人間」より抜粋) 

     

     

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